Tommy還暦記念アルバム「深海魚の夢〜Tommyトロンボーン一人語り」
詳細解説
1.深海魚の夢 Tommy
1995年ごろ書いて以来、今でも毎日のように演奏している曲
これを書いた当時は、「深海魚」そのものではなく、深海という存在に関心がありました。
最も高い山よりも深い海がある。そしてその深い海は、ほとんどまだ知られていない。
そこに惹かれたんですね。
しかし深海、そして超深海ともなれば、ものすごく過酷な世界。水圧はもちろんのこと、
太陽の光も、1000メートルを超えれば、まったく届かない。したがって、ものすごく水温も低い。その過酷な世界をそのまま曲にしたのでは、暗く、憂鬱なものになってしまう。
なので、勝手に深海もまあまあいいところ、誰も知らない深海には、誰も知らないパラダイスがある、そんなイメージで書きました。
これを一曲めにしたのは、またタイトルにしたのは、私の作曲活動を象徴する曲だから、
というのもありますが、当日の演奏が、いつもよりも一層、深海らしくゆったりしていた、
という声をいただいたからでした。普段のアルバムならば、元気の良い、派手めな曲を
オープニングに選ぶことが多いのですが、ソロなので、ゆったりと始めたくて。
2.Blue Monk Thelonious Monk
京都のジャズを、関西のジャズを牽引しておられたピアニスト、市川修さん。
彼のセサモセッションで、若き日の私は修行したものでした。
今主流の、セッション参加者をお客様のようにもてなすものではまったくなく、どこか道場破りの武芸者を迎え討つ、みたいな空気がありました。そのセッションは深夜からだったため、市川さんの声かけに応じて集まった、先程まで仕事してました、というようなプロのミュージシャンがずらりと並び、その威圧感たるや…
やれる曲あったら、いつでも出てこい(かかってこい)というスタイルだったので、自信のある曲が始まったら、恐る恐るステージに上がるんですが、いつももちろん返り討ちにあっていました。
そんなある日、その日は確か天気も悪く、参加者の集まりも悪くて、市川さんはいつもよりも聞こし召しておられ、ベロベロの状態でサックス吹いたりしてました(彼は元々フルート吹きだったのです。ピアノは大学生なってからという、すごい人)。そして私のところに来ると、こう言ったのでした。
「いつもはこう、綺麗な感じで吹いておられると思うんですが、今日は一曲、まるまるゾウさんでお願いできませんか?」
そこで吹いたのがこの曲でした(たぶん)
後述するゲイリー・ヴァレンテの影響もあり、ゾウさんと言われて、なぜか違和感なく、すっと吹けたのを覚えています。
それ以来、得意な曲になり、私の後援会本部でのライブでは、この曲をやらないと帰れない、そんなレパートリーになっています。
曲はセロニアス・モンクのブルース。クセの強いモンクの作品の中にあっては、なんてことないブルースですが、やはりモンクらしいなあと言わざるを得ない個性がありますね。
3.夏のシャンツェ Tommy
人類すべてが決して忘れないであろう2020年。
皆がまだ、この先どうなるのか、見当もつかないままに不安な日々を送っていた春先、
あるオファーをいただいた。
岩尾内湖というダム湖で夏祭りがあり、それへの出演と、曲を作ってほしいという依頼だった。オファーをくれたのは、私の北海道での拠点の一つ、士別市朝日町のカフェ「珈琲淹リファインド朝日店」のマスターだった。オファーいただいたときも、どうなるかわからないけど、ということだったが、やはりというか、案の定夏祭りは中止に。その後マスターが祭りの実行委員から降りたため、翌年の行うということもなく、この話はまったく消滅してしまった。
しかし実は曲をほとんど書いていて、今回それを仕上げて演奏してみた。朝日町にあるサマージャンプのジャンプ台。真夏に見たその雄大な姿はとても印象的で、そのイメージで書いたから、岩尾内湖とはあんまり関係なくなってしまったが、今となっては、それも問題ない。ひたすら大きな自然。それが伝われば。
4.Barefoot Neighborhood Tommy
その昔Neighborsというバンドをやってた時に、そのテーマ曲として書いたのがこの曲でした。曲にもソロにも思い出がありますが、ソロでの思い出を。
数年前、舞鶴のビッグバンドのゲストに呼んでいただきました。そこのメンバーの一人が琴の奏者で、キーヤンのイベントに必ず出ておられて、その繋がりでした。
ちなみにキーヤンとは京都の画家で、オリンピックの数年前から京都でイベントをやっておられた人です。私もまあ、そのファミリーの一人として、毎回出演しておりました。最後は一応音楽監督みたいな立場でした。
そのビッグバンドのコンサートの構成は、一部と二部の一曲めまでが、そのビッグバンドだけの演奏、二部の二曲めから私が登場というものでしたが、その私の登場の時に、なんと一曲ソロでやってほしい、というリクエストをいただいて。
二部の頭にやるなら、まあわからないでもないんですが、ビッグバンドのあとにいきなり一人だけでやれと言われて… やはり一人とは思えないほどの音量を出すしかない、という考えに至りまして、この曲のファンクバージョンを演奏しました。後日のリポートを見ると、会場に響き渡る音がすごかったとありましたので、まあ淋しいものではなかったかと思います。今回はそのバージョンでやってみました。
5.黄金岬 Tommy
海面を埋め尽くすニシンの群れ
その背に夕陽が反射して黄金色の道ができる
留萌から羽幌あたりは夕陽の美しいところだが、留萌にある黄金岬の名前の由来を聞いたときには感動した。
元々留萌に弟子がいて、前々から留萌の曲を書いてくださいよ、とは言われていたが、
この黄金岬の話を聞いて、ようやくイメージが固まった。
しかし、書いてはみたものの、なかなか自分で納得のいくような演奏ができなかった。
もっともっといい曲のはずなのに、そうならない。いや、そうできない自分が歯痒かった。
コロナによる、活動の縮小、本番の減少で、思っていたよりも衰えていたので、もう基礎体力から作り上げていくような努力が必要だった。ソロでのレコーディングが決まってから、必死に立て直した結果、ようやく深い呼吸、深い表現ができるようになった。そうなって初めて、私の思っていたような曲になった。そういう録音ができて本当によかった。
また近い将来、海面を埋め尽くすニシンの群来(くき)が見られますように。
6.Moritat Kurt Weill
ベルトルト・ブレヒトの戯曲、クルト・ヴァイルが作曲を手がけた音楽劇「三文オペラ」は、1928年8月31日にシッフバウアーダム劇場の開場に合わせて初演され、何度も映画化されている、とウィキペディアにはあります。
この曲はその中の劇中歌で、原題は「Die Moritat von Mackie Messer」、英語では「Mack the Knife」。ソニー・ロリンズがアルバム「サキソフォン・コロッサス」で演奏して、ジャズファンにもおなじみですね。
私はこの曲は、お客さんも参加できる曲として位置づけています。もちろんライブというものは、見る側、やる側というように分離しているものではなく、観客もまた参加しているのですが、よりわかりやすく参加できるものとして、この曲では手拍子してもらったりしています。
エラ・フィッツジェラルドがやっていたように、どんどん転調していって、キーを上げていくことも検討し、実際その日もやってみたんですが、うまくいく気がしなくて、やめました。
ちなみにこの曲だけ、まるまる録り直しました。なんか、もう少しうまくできる気がして、
十分休んで、しかも別の曲を何曲か録ってから再チャレンジしました。まったくの一人でやっている以上、いつもよりも疲労しやすく、また疲労するとたちまち音に出るので、ソロの場合は致命的です。なので、かなり休憩しながら、ゆったり録りました。
一度あるところ以上まで疲労してしまうと、その日のうちには回復しないのです。また、逆に言うと、この曲以外はすべて一回しか録音していません(テーマの途中でやめてやり直したものは二曲ほどある)。
7.月の沙漠 佐々木すぐる
加藤まさを氏が雑誌「少女倶楽部」1923年3月号に掲載した詩と挿画からなる作品
「月の沙漠」に、佐々木すぐる氏が曲をつけたもので、氏の作品の中でもとりわけ有名なものになっています。
この佐々木すぐる氏が、なんと同郷の人でして、私の自宅からギリギリ歩いて行けるところに(30分はかかりますが)生育の地があり、その碑が今もあります。
歌手のワサブローさんとずっとご一緒していて、彼がこの曲をフランス語と日本語で歌うんですが、間奏は私のアドリブソロで、その関係で同じキーで演奏しています。トロンボーン奏者としては、決して都合のいいキーではありませんが、キーを変えると逆に混乱してしまいそうなので、同じキーで演奏しています。
異国情緒のある曲ですが、非常に歌いがいのある曲でもありますね。やはりソロで取り上げる曲は、その曲の持っているものが、違和感なく自分に入って、なおかつ自分の歌として歌えるものでなければなりませんが、この曲はその意味では申し分ないですね。郷土の大先輩の曲ということで、誇らしい気持ちもあります。
余談ですが、私の実家のあたりでは、今も午後二時半になると、この曲のオルゴールのような音が、放送で流れます
8.Oblivion Ástor Piazzolla
この曲は1984年のマルコ・ベロッキオ監督の映画『エンリコ四世』の挿入曲として、アストル・ピアソラによって作曲されました。
最初にこの曲を、某ボサ・ノヴァ・バンドで演奏したとき、たまたま私の最初期からやっているボサノヴァ・ユニット「Duo Sonorosso 」の相方、溝淵仁啓氏が聞きに来ていて、終わってからこっぴどく怒られたことがありました。
「あの曲がどういう曲かわかっているのか?」
ということでしたが、私がリーダーではなかったため、答えに窮した覚えがあります。
それをきっかけに、いろいろなバージョンを聞き、結局やはりピアソラ楽団のものが一番良いという結論に達し、2008年にイタリアでのレコーディングを行ったときに、アレンジして持っていきました。
サビのところ、一回目は楽団全員の強奏、テュッティですが、二回目はバイオリン一人になるような、儚い感じが大好きです。
9.Berimbau Baden Powell
彼以降のギタリスト全員に影響を与えたと言われる偉大なギタリスト、バーデン・パウエルは24歳のとき、ヴィニシウス・ヂ・モライスと出会い、アフロ・サンバと呼ばれる作品群を生み出していく。その中で生まれたビリンバウは、1963年発表のアルバム「a vontade」に収録されているから、なんと私と同い年だ
しかし私がこの曲と出会ったのは、向井滋春氏のアルバム「So & So」であった。当時ブラジル音楽についての知識など皆無だった私は、ただ「いい曲だなあ」と思って聞いていただけだった。
私が本格的にブラジル音楽を勉強したのは、95年に自分がリーダーとして、ギターとのボサノヴァ・デュオを立ち上げる前だった。普通にボサノヴァの曲を選ぶと、ジョビン大会になってしまう。それはなんともカッコ悪い。脱ジョビン。そこからだった。
そして、ブラジル音楽の膨大な海をやみくもに泳ぎ回っているうちに、たくさんの素晴らしい曲と出会い、またすでに出会っていたものも、ああ、これはそうだったのか、という理解に至ったりした。そしてこのときにこの曲もレパートリーになったのだった。
ビリンバウというのは楽器である。弓矢を棒で叩くという、原始的な構造で、共鳴器として、中身をくり抜き乾燥させたヒョウタンを使用する。音程の調節は石またはコインで行う。この楽器は、主にブラジルのダンスのような格闘技、カポエイラで使用される。とウィキペディアにあり、この楽器を模してメロディにしたような曲がこのビリンバウである。
バーデン自身の演奏も、わりと大人数のものから、ソロまであるが、管楽器のソロでこれをやる人は、世界中にもあまりいないだろう。しかしなぜか、ソロを始めたときからのレパートリーなのである。
10.The Lord Is Listening to Ya,Hallelujah❗ Carla Bley
私にもっとも大きな影響を与えたトロンボニストは二人いる。
向井滋春氏とゲイリー・ヴァレンテだ。
ゲイリーは1953年生まれだから、ちょうど私より10歳年上になる。
1982年発表のカーラ・ブレイのアルバム「Live!」の二曲めに収録されたこの曲でのゲイリー・ヴァレンテの演奏は、当時大学生だった私を驚愕させるのには十分だった。
なんてものすごい音なんだ
と思う反面
ひょっとしたらできるかもとも思った
そしてやってみた
まあまあできた
それ以来私は、ケタ外れに音の大きなトロンボニストと呼ばれている。
この録音では、予定の9曲を録り終えた後に、エクストラ・チャレンジとしてトライしてみた。なぜなら、これをやったら最後、もう録音するに値するような音は出せなくなるからである。幸い、チャレンジは成功して、収録することになった。
私にとってこの曲が特別なのは、私が変身するきっかけになったから、というだけではない。2020年2月に44歳の若さで惜しくも亡くなってしまった私の弟子の葬儀で、出棺のときに演奏した曲なのである。私の音楽、演奏を愛してくれ、入門し、いつも応援してくれた彼の冥福を祈る。